福岡高等裁判所 昭和31年(う)449号 判決 1956年7月19日
控訴人 被告人 仲川輝義
検察官 中野和夫
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人水谷金五郎提出の控訴趣意書記載のとおりである。
右に対する判断。
(一) 本件事故発生のいきさつと被告人のとつた措置。
記録及び原審並びに当審において取り調べた証拠に現われたところによれば、昭和二九年二月一五日朝福岡県遠賀郡香月町西ケ崎緒方七郎の二男憲治(当時満二年九月昭和二六年五月生)は、兄秀夫(当時五年)及び右秀夫の友達小田忠直(当時六年)に伴われ、同町国鉄香月駅九番線の北側坑木置場に白墨拾いに赴き、兄秀夫らに従い帰宅すべく同坑木置場の石段を降り、一たん九番線を南にこえて間もなく、同駅三六号ポイントの西方約五三米の地点附近において、さらに同九番線を北に横断しようとして、同日午前七時五〇分頃同線路内に立入つたところ、たまたま折柄貨車の入替作業のためすでに同線路に突放され同線路を独走西進して来たセム二五二一号坑木積載一五噸貨車に衝突して同所線路内に転倒し、同貨車の右側前後車輪によつて両脚を轢断されるに至つたものであり、被告人は、当日操車係として貨車の入替作業に従事していたものであるところ、これよりさき同日午前七時三八分定時に貨車三四両連結の下り四六一貨物列車が同駅に到着して、四番線の定位置に停車し、関係者協議の上貨車の入替に関する諸事項が決定されたので、これに従い貨車の入替を行うべく、機関士山本厳に合図して、まず先頭の貨車七両を四番線の頭部(東方汽関車給水塔附近)に引上げ、そのうち四両を七〇号ポイント附近で五番線に突放し、これに連結手鶴薗正嗣を乗込ませ、次いで、右突放地点の西方約一七米、すなわち、前記衝突地点の東方約六〇米の地点において前記坑木積載貨車一両を、時速約五粁の速度で九番線に突放したものである。
そして、右九番線の線路は、同駅構内の最北端に位し、同線路の北側には十数米をへだてて、前記緒方七郎の居宅を含む同町西ケ崎部落の人家が散在し、当時同部落側より駅構内への一般人の出入を防止すべき柵または禁止の掲示標等の設備なく、前記衝突地点には同所から北側部落へ通ずる幅約一米半の小径が自然に形成されていて、附近の一般人がかねて同小径を通り駅構内に出入している形跡の歴然たるものがあり、実際部外者たる一般人がかねて駅員の制止にもかかわらず同町中央通方面への近道をする等のため禁を犯して右小径より駅構内に出入し構内を通行していた事実があり、被告人も、これら一般部外者の構内通行の事例を知つていたのではあるが、被告人は、九番線への前記貨車突放の合図を行うにあたり、三六号ポイント附近に立つて九番線の前方を注視したところ、同線路並びに附近に部外者の人影その他何らの障害物を発見せず、かつ、六九号ポイントにあつて九番線への転轍を担当する転轍手山崎哲夫において、九番線突放の準備完了、突放安全の旨の信号を示したので、同信号を確認した上これに基き、機関士山本厳に対し前記突放の合図を行い、前記貨車一両を九番線に突放し、同突放車両には、情況上制動機取扱者を乗込ませるの要がないものと判断したため、制動機取扱者を同突放車両に乗込せる措置はこれを講じなかつたものであることが明かである。
(二) 結果の発生を予見しなかつたことに関する被告人の過失の有無の点について。
およそ刑法上過失の責ありといいうるためには、もし相当の注意を用いるにおいては、結果発生の可能を予見しうる場合であることを要するのは言をまたない。本件災害の発生は、線路内への部外者の立入という事実もさることながら、九番線内に立入つた緒方憲治が、たまたま満二年九月のがんぜない幼児であつて、突放貨車との衝突の危険を認識しいち早く線路外に避譲する等きわめて容易な危険回避の方法を講ずる能力をさえ欠如していた特殊の事実に基因するものである。駅の構内は、社会公共の利益に奉仕する鉄道固有の機能の発揮される鉄道専用の地域であつて、一般人の立入通行を禁止されている場所でありたまたま立入禁止のための設備がなく、附近町民にして近道のため禁を犯して立入り通行する事例があつたとしても、一般公衆の供用に開放されている道路公園等の場所とはその性質を異にするのであるから、駅の従業員が駅の構内において車両の突放入換等を行うにあたり、かかる幼児が線路内に立入ることの可能を予見しうる事情ありとするためには、近道のため附近の町民が禁を犯して構内に立入り構内を通行していた事例の存した事実のみでは未だ十分でなく、他に相当の事由がなければならない。
被告人の原審公判における供述によれば、かかる幼児がかねて駅の構内に立入つていた事例はなかつたものと認められ、かつてこれらの幼児が適当な保護者の同伴なしに構内に立入つていた事例については、本件記録上これを肯認すべき証拠が全くない。
前記緒方憲治が、突放貨車に衝突する直前、兄秀夫及び小田忠直に従い、坑木置場の石段を降りて、一旦九番線を南にこえ、さらに北へ横断しようと同線路内に立入つたことは、前述のとおりであつて、司法警察員作成の実況見分調書、同添付写真並びに当審検証の結果によれば、右の石段から衝突地点までの憲治の足取の距離は約一三米であり、この附近は、九番線への突放合図の際、被告人の位置した三六号ポイントの地点より十分見透しうる状況にあることが明かである。そこで被告人において右の突放合図を行う際、もし憲治ら右三名の幼児が右の石段もしくは九番線附近に姿を現わしていたものとすれば、これを発見しなかつた被告人は前方の安全確認の義務を尽さなかつたものといわなければならない。ところが、憲治において前示約一三米の距離を歩行するのに要した時間は、同人が満二年九月の幼児であること並びに歩行の場所が線路の内外であつて歩行にやや困難であること等の事情を考慮に入れても、前記突放貨車が時速約五粁の速度をもつて突放地点から衝突地点まで約六〇米の距離を移動するのに要した時間よりも必ずしも大でなかつたこと、換言すれば、右三名の幼児が右の石段もしくは九番線の附近に姿を現わしたのはすでに貨車の突放が開始された後のことであつて、被告人において突放の合図を行う当時においては、右三名の幼児は未だその姿を被告人の位置から望見しうる領域内に現わしていなかつたものと認定しうる余地が十分である。当審検証現場における証人玉腰コズエのこの点に関する供述にはその観察と記憶の不正確性を否定し難く、同人の供述によつて、被告人の右突放合図の際憲治ら三名の幼児がすでに右の石段もしくは九番線の附近に立入つていたという事実を認定することは困難であり、他に同事実もしくは、被告人の右突放合図の際、右幼児らが被告人の位置から望見しうる領域内に姿を現わしていた事実を確証するに足りる資料は、本件記録に全く存しない。
以上のとおり、本件災害は、幼児緒方憲治が、はからずも九番線内に立入り、しかも同線路外に避譲して突放貨車との衝突を回避する能力を欠如していた特殊の事情に基因するものと認められるのであるが、被告人において突放の合図を行う当時、すでに同幼児が被告人の位置より望見しうる領域内にその姿を現わしていた事実、もしくはその他、四囲の情況上かかる幼児が線路内に立入ることの可能を予見すべきであつたと認むべきその情況について、これを認定するに足りる証拠の存しない場合、その結果の発生につき、被告人に過失の責を帰すべきでないのはもとよりである。
然るに原判決が、被告人において突放の合図をなす場合には『九番線の位置、附近の民家、線路立入防止の柵の有無等四囲の情況を仔細に判断熟慮し、特に車両の進行中何時附近居住の子供らが九番線を横切つて構内に立入り、或は構内に這入つていた者が不用意に線路に立入るやも計り知れない等の事情を慮り………事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あるにかかわらず、かかる注意義務を怠り………』との旨の事実を認定したのは、判示憲治らの線路内立入の事実を被告人においてその不注意により予見しなかつたという趣旨に解するのほかなく、右は証拠に沿わない事実を認定したか、注意義務に関する法則を誤まつて不当に適用した違法があるものといわなければならない。
(三) 突放車両に制動機取扱者を乗込ませなかつたことに関する被告人の過失の有無の点について。
車両の突放入換に際し、国鉄従業員の遵守すべき準則として、運転取扱心得(昭和二三年八月五日総裁達第四一四号)第八七条に、「車両の突放入換をするときは、連結手又はその他適任者を突放車両に乗り込ませて、制動機を取扱わしめるのを原則とする。」旨、並びに運転取扱心得細則(昭和二三年門鉄達甲第一八二号)第八一条に「心得第八七条により車両の突放入換をする場合は、次の割合の制動機取扱者を乗り込ませなければならない。(1) 使用する制動機が車側制動機なるときは、一〇輌までごとに一名、(2) 使用する制動機が手用制動機なるときは、二〇輌までごとに一名」との旨の規定がある。そして、日本国有鉄道総裁室法務課長名義の「捜査関係事項照会書に対する回答について』と題する書面、原審証人弓野治郎、同上田豊太郎の供述等によれば、国鉄の右の規定は、突放車両の停車を調節し、停車位置における流転等による事故の防止を目的とする原則規定であつて、突放途上における事放の防止を目的とするものでなく、従つて、特に停車を調節すべき必要がなく、また流転等のおそれのない安全な特別の情況の存するときは、その情況に応じ、突放車両に必ずしも制動機取扱者を乗込ませるを要しない、とする趣旨の解釈が国鉄部内一般の解釈であることを窺知するに足り、同規定の文理並びに車両の突放は、突放途上の障害の通常予想されない場合に行われるものであること等の事情に照らし、右の解釈は妥当なものと認められる。当審検証現場における証人山崎哲夫、同梶原孝男、同山本巖並びに被告人の各供述によれば、本件貨車は、九番線の前方坑木置場附近にあつた停留車両に軽く接触させて停車せしむベく、時速約五粁の比較的低い速度で突放されたものであることが明かであり右の事実と現に本件貨車は停車に際し何ら流転等異常の事態を生じなかつたという記録上明白な事実等に鑑みるときは、本件貨車の突放は、流転等のおそれのない安全な特別の情況のもとに行われたものであつて、情況上突放車両に制動機取扱者を乗込ませる要のなかつた場合にあたるものと認められるので、被告人において本件突放車両に制動機取扱者を乗込ませなかつたのは、前記運転取扱心得第八七条に違反するものでないと解するのが相当である。
原判決が、操車係たる被告人は、運転取扱心得第八七条及び同細則第八一条により、車両の突放入換をするときは、連結手又はその他適任者を突放車両に乗込ませて突放車両備付の制動機を操作せしめ、突放車両を目的箇所に停車せしめると共に「独走突放車両の進路に障害物を発見したときは急停車せしめる」等突放車両による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものとし、制動機取扱者を乗込ませなかつた点を右規定に違反するものと認定したのは、同規定の解釈を誤つたものというのほかはない。
しかし、もし右にいう「突放車両の進路の障害物」が予見可能のものである限り、被告人にこれが危険防止の義務のあることを認める原判決は、該義務の根拠を右の規定に求めた点において誤りがあるにかかわらず、結論においては正当としなければならないのであるが、その「障害物」とは、本件においては幼児緒方憲治の線路立入の如きを指すものであること明白でありその予見の可能であつたことの認められないことは前段説示のとおりであるから、原判決が右業務上の義務を認め、本件突放車両に制動機取扱者を乗込ませなかつたことを被告人の過失であるとしたのは、結局失当であるといわざるをえない。
本件結果の発生につき被告人に過失の責ありということのできないことは、以上説示のとおりであつて、被告人に過失の責ありとした原判決は失当であり、論旨は結局理由あるものというべく、原判決は破棄を免かれない。
よつて、刑訴第三九七条により原判決を破棄し、刑訴第四〇〇条但書に従い本件について更に判決する。
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、遠賀郡香月町所在国鉄香月駅に勤務し転轍手兼操車担務者であるが、操車掛は運転取扱心得第八七条及び同細則第八一条に基き車両の突放入換をするときは連結手又はその他適任者を突放車両に乗込ませて制動機を取扱わしめ以て独走突放車両による危険の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるにかかわらず、昭和二九年二月一五日午前七時五〇分頃香月駅構内九番線において、セム二五二一号坑木積載一五噸貨車一両を突放するに際し、当時連結手鶴薗正嗣は約二〇〇米はなれた先方五番線上に突放された貨車に乗務し該車両の停止作業に従事しおり、従つて九番線の突放車両に乗り込む余裕のないことを知悉しながら無謀にも機関士山本厳に対し連結手無乗車の右坑木積載のセム二五二一号一五噸貨車一両の突放合図をなし、これを九番線上に突放独走させたために、たまたまその前方六三米の地点玉腰コズエ居宅前附近の軌条を横断しようとした幼児緒方憲治(当三年)にこれを衝突させ、因つて同人の左膝蓋下部及び右足関節上部を轢断傷害するに至らしめたものである。」というのであるが、右が被告人の過失によるものであることを認めるに足りる証拠なく、結局犯罪の証明がないこと前記説示のとおりであるから、刑訴第四〇四条第三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をすべきものとする。
以上の理由により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下川久市 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)
弁護人水谷金五郎の控訴趣意
原判決は事実の誤認があり、且つその誤認は判決に影響を及ぼすこと明かである。
(一) 原判決の判示理由を要約すると、1操車掛たる被告人は運転取扱心得(昭和二十三年八月五日総裁達第四一四号)第八十七条及び同細則(昭和二十三年九月七日門鉄達甲第一八二号)第八十一条により車両の突放入換をするときは連絡手又はその他適任者を乗込ませて突放車両備付の制動機を操作せしめ、突放車両を目的箇所に停車せしめると共に独走突放車両の進路に障害物を発見したときは急停車せしめる等突放車両による危険の発生を未然に防止すべき操車担当者としての業務上の注意義務がある」と認定し、2更に操車掛は機関士に車両の突放合図を為すに当つては「九番線の位置附近の民家、線路立入防止柵の有無等四囲の情況を仔細に判断、熟慮し、特に車両の進行中何時附近居住の子供等が九番線を横切つて構内に立入り、或は構内に這入つていた者が不用意に線路に立入るやも計り知れない等の事情を慮り、突放車両に連結手を乗車せしめるか、その他車両の安全運行のため適宜の手段方法を採りたる後突放の合図をなす等万全の措置を講じ、事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、かかる注意義務を怠り偶々当時九番線附近に人影がなかつたので機関士に対し慢然突放合図を為したため機関士の突放作業により時速五粁位の速度を以つて独走してきた車両を………緒方七郎二男憲治(当三年)に衝突させ因つて同人の左膝蓋下部及び右足関節上部を轢断傷害するに至らしめたものである」と認定している。然し右の認定は運転取扱心得(以下運心と略称する)第八七条及同細則第八十一条の制定趣旨を異曲して解釈し、強いて被告人に過失責任を課したものというを得べくその判断が肯綮を失すること勿論である。即ち原判決の説示するところによれば、
(二) 操作掛が入換作業のため機関士に突放合図を為すに当つては突放車両の前進方向の線路に何等の障害若しくは危険発生の虞れないことを確認するのみにては足らず、突放合図を為した後、不時に生起するやも計られない、所謂突発の線路障害若しくは危険に対しても容易に防止できるよう連結手を添乗せしめるか、其他安全運行のため適宜の手段方法を採りたる後でなければ突放合図が絶対できないことになる。果して然らば前途の安全を確認して突放合図をした後予期に反して構内立入禁止の反則者が突如線路内に踏み入つて来たような場合、特に本件事案の如くがんぜない幼児であつたならば如何にしてその危険を阻止せしめるか結局は予め監視者を配置して防禦するより方法がない然も経営上かかる要員を配置する余裕はない。して見れば一々の突放作業に必ず連結手が添乗しなければ突放できないことになつて所要時間が増大し、延いて列車の定時運転は望めないことになる、このことは労働運動の実力行使に際し遵法斗争が選ばれる場合列車が遅延し已むなく運転休止せしめる如き事例あることに徴しても其間の事情は容易に肯定できると信ずる。即ち原判決の説示する適宜の手段方法という表現そのものに対しては敢えて異論がないにしても具体的になると名案が浮ばず実行の伴わない机上論に終るであろうことが予想され未だ被告人として承服し難いところである。
(三) 事実と証拠との関係 1被告人が事故発生当日操車担務者として運心及服務規定上服行すべき事項を摘記すれば左の通りである。イ車両入換をする線路に支障のないこと及び信号、標識の正当であることの確認後機関士に入換合図を行うこと(運心第八三条)、ロ車両の突放入換に際しては原則として連結手又は其他の適任者を添乗せしめて制動機を取扱わさすこと(運心第八十七条)及添乗せしめる場合の割合を保持すること、(運心細則第八十一条)而して証拠に照らすと(イ)の安全性の確認については被告人遺憾なくこれを実行し、何等の障害もなく又人影を認めなかつたので機関士に突放合図をしたのであるから義務は怠つていない、このことは当時事故現場に最も近接した第六九号ポイントに出務していて同ポイントを九番線に転換し被告人に「オーライ」と合図をした山崎哲夫転轍手の第四回公判に於ての証言(記録第一二七丁裏、同一二八丁(第四回公判調書)と完全に一致し原判決も亦この点は認めている。次いで(ロ)の連結手を突放車両に添乗せしめて制動機の取扱を為さしめる点については被告人は九番線の第一次突放に際して連結手を乗込ませなかつたのであるが、だからと言つて直ちに義務違反と解することはできない。それは当時の状況上被告人の執つた措置は運心第八十七条の規定解釈上から見て違反でなく鉄道業務運営の面から見ても斯くする以外に良い方法はない。即ち義務懈怠の事実がないから判示の批難は当らない。即ち運心第八十七条の規定は原則を定めたもので例外は禁止した規定でないからである(国鉄総裁室法務課長より安西検事宛の捜査関係事項照会に対する回答書の記載記録一一七、一一八丁、並に第七回公判に於ける弓野治郎の証言記録一四三丁乃至一四六丁参照)。換言すれば被告人が当時九番線に対する突放作業に連結手を添乗せしめなかつたことは当時の状況上真に已むを得ない事情に置かれたためであり、他の操車掛をその衝に当らしたとしてもそれ以上の措置を期待する可能性がない。左に当時の状況を摘記して事情を明白にする。即ち本事案は記録によると当日香月駅午前七時四十分着第四六一列車(貨物)にて到着した三十四両に対する一連の入換作業中偶々惹起されたのであつて列着時に於ける編成順序は、セム杭木積車一両、ワム有蓋貨車一両、セム杭木積車一両、トム無蓋貨車十一両、セム空車二十両、計三十四両連結であつた。而して同列車は四番線に到着したのであるが右車両は同日七時五十七分三十秒に三番線(ホーム寄)に到着すべき第四一三旅客列車の到着迄の間(隣接駅出発後には入換作業ができないことになるから更に時間が短縮される)の約十五分間に一応入換作業を終了せしめないと前記四一三列車の牽引機関車を前部より後部に付替え同駅八時七分発上り第四一四旅客列車として折返すので前記第四六一列車に到着した貨車の入換作業はそれ迄に終了させて置かないと機関車の廻線ができないことになり必然的に右四一四旅客列車の出発を遅延さすことになる。然もこの約十五分の間に入換作業着手前に荷主(炭坑)と、機関士、操車掛、転轍手、連結手等の関係者が作業順序を打合せその決定に基いて作業を遂行するのでありこの打合せに当日は七分を費消している。従つて残つた約八分の間に作業そのものが実施されることになる。而して当時関係者が打合決定した作業順序及回数は次の通りである(被告人の警察官に対する供述昭和二十九年二月十六日の分記録一五三、一五四丁、同じく同年五月三日香月警察署に於て検察官に対する供述調書の記載記録一六三丁同丁表参照)。1最初に七両を四番線から引上げること、2五番線に四両を突放する、3九番線に一両を突放する、4四番線に一両を突放する、5九番線に一両を更に突放する、6四番線にて機関車を連結する、7四番線から五両を引上げること、8二番線に五両を突放する。以上八回の入換作業を前記時間に処理し、残りの作業は四一四旅客列車出発後前記四六一列車(貨物)の折返し四六二列車(貨物)の出発時刻である八時五十四分迄の間に持越されるのであるがこの時間帯に機関車の給水、給炭に要する三十分前後の時間も入るので入換作業可能の時間は更に切詰めた時間ということになる。而して当日出務の連結手は二名で内一名は突放作業解連(連結器の切離し作業)に従事し一名が制動に当る訳で当日鶴薗連結手は五番線に突放した四両の制動に添乗して二百米も離れた地点にいたので九番線に突放するセム一両に引続き添乗することは事実上不可能である。又残る一名の連結手は引続き行う予定の作業の解連に当らさなければならない。一面九番線には留置貨車があつて連結手に制動せしめなくとも自からその位置に停止して流転の虞れがない。且つ突放距離も六十米余りで作業上支障はない。為めに被告人は叙上の諸情況を考慮して九番線への第一次突放に連結手を乗込ましめる必要なしと判断したのであつて相当理由があり、漫然突放合図をしたという批難は当らない。元来突放車両に連結手を乗込ましめる目的は所要の位置に当該車両を停止せしめるにあつて突放合図後偶々生起するやも計られない不用意の反則者の線路内立入の危険防止をも対象に前記運心第八十七条の規定が定められているのではない。特に事案は国鉄専用の駅構内で一般人が紊に立入ることを禁止されている地域内の出来事である。然も入換作業は前述の如く複雑多岐に亘り、これを短時間内に処理しなければ忽ち列車運転業務に支障を及ぼすに至るのである。勿論人権は尊重すべきであると謂え判示の如く「附近居住の子供等が不用意に線路に立入るやも計られないことを念慮に間断なき注意を払いつつ入換作業の完全遂行を常人に求め得るであらうか、法は不能を強いずとの法諺もある如く、判示の如き注意を被告人に期待することは正しく不能を強いるものと言うべきである。特に本件の場合被告人は突放合図を機関士になすに当り、進路の安全状態を確認して居り、其後被害の幼児違が線路に立入つたのである。而して実験の結果に依ると突放車両が流動を始めた次の瞬間には被告人が機関士に突放合図した位置から九番線を望見しても突放車両にさえぎられて見透しが全くきかなくなる。従つて被告人は当時被害の幼児が線路に立入つた状況に気付かず事故を未然に防止し得る措置を執り得なかつたことは蓋し已むを得ない処である。即ち本件は所謂飛込と同視すべき不回避の事故であり被告人としては不可抗力で如何とも致方ないものであると解する。従つて事故発生の責任は当然幼児の監護に当る親権者に於て負うべきものである。幼児の父緒方七郎はこれを素直に認め上申書を以て被告人が処罰されることを望んでいない旨を原審裁判所に訴えている(記録一三四丁)。而して国鉄は被害者に対し十万円の慰藉料を支払つているのであるがその支出は国鉄が過失を認めたものでなく被害者の不幸に同情し特別措置を為したものである。次いで原判決は構内立入防止の柵のないこと及一般地方人が鉄道構内を横断する悪習がありその取締が弛緩していた事実を被告人は充分知つていたのに子供等が線路内に立入る危険に備え事前に適当な防止方法を講じない侭突放合図をしたことが本件傷害事故発生の原因となつたのであり、被告人は過失責任を負うべきものであるというにあるがその判断は既述の事情と証拠に照し相当でないと信ずる。
これを要するに被告人は当時操車掛として運心所定の職務と義務を間然するところなく服行遵守して何等懈怠と解せられる事実がない。仍つて無罪の御判断を賜わるべきものと確信する。
然るに原判決は業務遂行の規範である運心及同細則の制定趣旨に想を致さず、独自の見解を基調とした抽象規範を想定し、これに依拠して被告人の行為を批判し以つて有罪の認定をせられたのであるがその認定が相当でないことは既に論述した理由の通りである。結局原判決は事実の認定を誤つたものと謂うを得べく且つこの違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れない。
「註」本件事故につき門司鉄道管理局に於て当時あらゆる調査を行つたが被告人には過失ないものと認め処分をしていない。